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あの日から3年、復興計画、街づくりの推進について思うこと

2014年03月11日 00:13

ここ数日、震災から3年が経つということもあって大槌/吉里吉里関連のサイトやBlogを見たり、情報を集めてみている。Facebookで地元から発信している友達の書き込みを見たり、Twitterからもいろいろと知ることができる。(まあこの時期に限らずフォローしている地元友人の情報は普段から目にする事は多いけど・・。)

前の記事に書いた通り、現時点の自分の考え、前から言いたかった事など思いつくままに書いてみようと思う。



●同じ被災地でも立場はそれぞれ。立場の違いからくる”遠慮”の話。
例えば・・・家が流された人の意見が強くなってしまう、みたいな。

家が残った人は家を失った人に比べれば余裕があるはずで、復興の音頭取りを含めてイニシアチブを取って動けるはずなのだが、こと長期的な復興のプラン作りやその推進過程では必ずしもそうできない心理というか、空気が働いているように見える。

ちょっと複雑なのだけれど、家が残った人は「残ってよかった」という安堵の気持ちとともに、家を失った人に対する負い目のような感情も抱いているケースがあるように感じた。

そこで、たとえば復興会議のような場で議論になった場合、
「家を失った人の意見を尊重しないわけにはいかない」
となる。

基本的なスタンスとして、このような立場に立った上で、率直な思いではなく遠慮がちな意見となってしまうことがある。

なぜなら自分たちは家が残っているから。

家がない人たちが一番大変なのだから、その意見を尊重してあげるべきだろう、等々。


例えば、家がない人たちから、「防潮堤は出来るだけ高く」という意見が出たとする。

それが仮に全体として、短期的ではなく将来にもわたって地域のためという視点で考えたときに間違った考えだったとしても、それが家を失った人(人たち)から出た意見である以上、反対の声を上げるのは容易なことではない。


逆に、家を失った人の何人かと話してみて感じたのは、

「家が残ったんだからもっと積極的に力を貸してくれてもいいのに」

という思いも持っているということだ。
これは、家が残っている人たちの遠慮がちな気持ちとは全く反対の思いを持っている、ということになる。


残った人→失った人の意見を尊重すべし
失った人→残った人がもっとがんばってよ

というような。

結局、余裕のない側の人がより疲弊してしまうような体勢は、全体によってあまりいいとは思えない。



実際には家の残った残らないでそのスタンスをきれいに分けることはできなく、さらにいろんな状況の人がいて事態はもうすこしややこしいかもしれない。けれど、お互いに遠慮しあってしまったために、長期的な視点がずれてしまうのはとてももったいないことだと思う。



このような心理的なバイアス?のようなものが働いていることを考慮に入れて、街づくりを考えなければならない。

そこで、第三者的な目を持って、ビジョンを提示することが求められると思う。
当事者だけの話し合いでは、絶対に利害関係が働き、うまくまとまらない場合が多いと思うから・・。


また、現在の復興計画の推進は、地元に住んでいる人の意見主体で進んでいる(当然のことだが)
しかし、実家は吉里吉里だが今は東京で働いていて、将来的には地元に戻りたいと考える人も当然ながらかなりの数がいると思う。その人たちへの情報提供は、今のところ親から聞く、以外は自らが関心をもって取りに行く(役場のHPを見る、新聞を読む、等)しかないのが実情。

復興の進め方に対する思いがあったとしても、それを表明する場がない。
そして、それを復興計画に反映できるようなしくみも当然ながらない。

それが、地元に対する思いを持っている人にとってはもどかしい部分だと感じている。



●復興のイニシアチブを取っているのは誰か?

親や友人の話を聞くかぎり、復興会議への参加年代、というか議論の中心は50代、60代が中心という印象。
これからより長い時間をすごすことになる若者、20代、30代の意見、声はしっかり届いているかな?

復興会議の場への参加率の悪さから関心がないように思われていることもあり、それはそれで問題だとは思うけれど、絶対的な人口自体も少ないことも考慮に入れるべきだと思う。なにより、より長く住む若者、自分の子供、孫のために住みよい町とするにはどうしたらよいか、という視点が必要と思う。利害じゃなく。

(たとえば、大きな防潮堤を作るべきかどうか。この議論に本質が現れていると思う。家を失った人が、同じ土地に家を建てたがるとする。そこで、それができるようにするには防潮堤が必要、こういう思考になってしまう。防波堤の効果は限定的なことは立証されており、それだけのコストをかける意味があるのかないのか、その議論になるはずのところが防潮堤ありきの考えに傾くのはおかしい。)

また、たくさんの立場からいろんな意見がでるようなタイプの問題については、(たとえば家を建てられない広大な面積の土地をどう利用するのか、等)いろんな意見のいいところを全て取り入れようとして中間的なものを採用した結果、どうにも収まりの悪いものになってしまう、という最悪の結末にならないよう、多数決的で中庸なものを選ぶのではなく、ビジョンを持った人間がある程度決断して選ぶ、というようなプロセスをとってほしい。(もちろん説明や議論は尽くすべきだが。)


●自分の意見

子供や孫、将来の世代にリスクを残さない方向の街づくりとする
防潮堤は巨大なものは反対!
本質的に防潮堤をはじめとする巨大建造物を作るということは、位置エネルギーを溜め込むという行為です。
それが崩れたときに大きな力を発生させるものを、わざわざコストをかけてためているということになる。
それに海が見えなくなるようなものを作ることは避けるべきと思う。

※防潮堤については関心があるのでもっと掘り下げて考えてみたい・・・
先日の朝日新聞の記事でも、規模を縮小する自治体がかなりの数で出て来たというのを目にした。
やはり震災から少し時間が経って冷静に考える余裕が出て来たためなのか・・。
いい傾向だとは思うが、この記事では具体的な地区名までは出ていないのでそこが気になる。

街の復興計画でも防潮堤の高さがどうなるのかが、一番最初に気になる部分でもある。

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”海が見える”を前提とした街づくり
防災上の効用はもちろんのことです。 
でも海が見える町、ということの価値を、地元に住んでいる人たちはどれだけ理解しているだろうか。
これは逆に、他の場所に出稼ぎに出ていたりする人の方がピンと来ると思う。
東京から長い時間をかけてもどってきて、大槌から吉里吉里トンネルを抜けたときに目に飛び込んでくる海を見たときに感じる安堵感、このときに感じる気持ちが、地域へのリスペクトであり将来的な街の発展には決して無視できない要素となる。今の吉里吉里が団結力を保って活力を保持しているのも、海に対する誇りが残っているからなんじゃないかな?

本当に海が見えることを大事に考えてる?防潮堤含めた新しい街のビジョンがとても気になっている・・・
トンネルを抜けたら見える海の景色を残念なものに変えないでほしい。


写真は、復興計画の一部。海の見える街として景観は配慮されているようだ。実際はどうなるんだろう。見守るしか無いのかな。。

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”祭り”の早期復活を全力で。
祭りは地域をひとつにするので。絶対に必要。そのための支援は惜しみなく。それが文化を守るということ。
その際、変に商業的なものにならないでほしい。(まあ、あまり心配していないけど・・)
あまりに商業的にすると地元感が薄れ、参加してる感じが少なくなってしまう。

過去記事 吉里吉里祭り考



”はまゆりの復元に関するスタンス”
結論から言うと、”復元に賛成”

ただ、少し話しが出ていて立ち消えになったのか?最新の状況は把握していないけど、復元はアリだと思う。
というかぜひしてほしい。
理由は、「それを見ただけで津波の威力を知ることができるから。」

しかもこの効果は絶大だ。
いくら石碑を建てようと、ここまで波が来たと語り伝えようと、限界があることは知られているとおり。
今までだって石碑はそこかしこにあったのだから。

しかし、あのはまゆりがあの民宿の上に乗っかってしまうほどの出来事なのだ、というのはモニュメントを見れば一発で理解できます。復元コストとの兼ね合いにもよるだろうけど、それがあるというだけで津波の恐ろしさを想像でき、結果、次の大津波警報の時に救える命の数ということを考えれば、かなり有効な策であるように思われる・・。

それは大槌のみならず、東北沿岸、日本沿岸に住む人みんなに効果があることだと思う。
遺構遺産とはそういうものだからです。

建築物の話になるけれど、今でこそ新名所で騒がれている東京スカイツリー、あれも当初は不要論だらけだったらしい。シンボル的な構造物というのは、当初から必要に迫られてできるというだけのものでもないという好例かと。誰かの確固たるビジョンのもと、作られてみると、それが後から価値を生み出すことになる。はまゆりもそういう存在なんだと思う。

ここから先は若干不謹慎になるかもしれないけれど、将来的には観光名所にもなるでしょう。そのときに地域に落ちる経済効果も決して無視はできないくらいの影響力を持つのでは?そこで津波を忘れないような展示等もできればより効果的だと思うのだけれど・・。

関連記事 はまゆり解体について思う

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”ボランティアの気持ちを持つ人の力をうまく集める”
被災地に対する思いを寄せてくれる人がたくさんいることを、ボランティアで来てくれた人と知り合ったり、そしてSNS上からも知る事ができた。しかし、もう緊急事態も落ち着いたところでこれから何ができるのか、と思って体を動かせない人もたくさんいることもまた事実なんだと思う。

それを、気軽に、ハードル低く集められるような仕組みが作れるといいと思います。
その1つの好例が復活の薪プロジェクトであり、NPO吉里吉里国で募集している林業ボランティアでもありますが。
継続的に、ウェルカム!の姿勢でボランティアを受け入れられるように仕掛けていくことが大事かなあと。



津波で大きな被害を受けたけれど、地域再生という軸で考えるとこの機会は超大きなチャンス。
ボランティアがたくさん来て復興バブルだ、とかいうレベルではなく、継続して人をひきつけられるように何か一工夫あるか?ということ。

一例として紹介できるのが全国の過疎地域を中心に地域再生に取り組む集団、地域おこし協力隊の活動。
一度吉里吉里にボランティアで来てもらった時にメンバーが実家に泊まっていったご縁でその後もSNSでつながっていて活動拝見しています。岡山県美作市のMLATの皆さんでした。このメンバー達が個々に活躍する様子がすごい。舞台は田舎だけどやってることは最先端、誰かが言ってたけど、「生きのイイ奴らは田舎と被災地に集まる」。このような一連の活動を見習ったりすれば、面白いことを矢継ぎ早に立ち上げて、地域の再生につながっていくと思う。

で、被災地である地元に再び目を向けると・・・始めは外部の人間(要するによそ者)を投入して、だんだん地元のプレイヤーが育ってくることを期待する作戦もいいかもしれないけれど、それに対する支援と理解が必要と思います。
吉里吉里はNPO吉里吉里国が他地域からの支援を継続して受け入れる母体の役割を果たしていて、ビジョンも明確ですごくイイ感じなんじゃないかなと応援しています。
もっと足しげく通えるなら協力したい、アイデア出して自分も動きたい、そう思いながら、心はいつも応援しています。


一度ボランティアで訪れてくれた人は口をそろえて「吉里吉里いいとこだ」と言ってくれますが、そうやってファン層を拡大していくことが大事なんじゃないかな。

関連記事 吉里吉里国 復活の薪に集う人々


・・・


以上、あまりまとまらなかったけれど、書いてみました。

写真は、海が見える場所を探して歩き回ってみた、吉里吉里の風景。
あの日の出来事に思いをはせながら、3.11を過ごしたいと思います。


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あの日から3年、震災からの復興について、自分の意見をまとめてみる

2014年03月10日 23:31

震災2日後の夜に吉里吉里に足を踏み入れ地元の惨状に衝撃を受けたことは今でも昨日のことのように思い出される。
直後の混乱期、自宅のある雫石と実家の吉里吉里を往復しながら考えた、自分にできることの1つ・・・このBlogで地元を離れて住んでいる人に状況を伝えること。そうして始めた更新。

大槌町吉里吉里レポート まとめ

写真や画像を多用し、客観的に、事実を記録することでいろいろなことを正確に伝えようと試みた。テレビ、ラジオじゃカバーする範囲が広すぎてローカルな情報は伝えきれない。そんなとき、地元から遠く離れて暮らしているが、地元がどうなっているか気が気ではない人に向けて発信するのは意味があることに違いない。それを伝えるために・・・

震災から1ヶ月くらい経ったころ、その意味合いも変わってきた。見てくださっている人の中には、地元に住んでいる人の割合がかなり多いということに気がついたから。避難所の手伝いをしている時だったり薪割りの作業を手伝っている時、はたまたカメラを持って歩いている時。いつも見てるよ〜とよく声をかけられたし、一番びっくりしたのは紫波の避難所に自分のBlog記事が印刷されて掲示されていたこと。そんなこともあって、更新する目的に、「吉里吉里に住んで復旧作業を頑張っている人たちの元気が出るようなものにしていこう」というのが加わった。

しかし、半年が経過し、次第に次の街をどう作っていくか?つまり復興計画を話し合う段階に来るとまた少しフェーズが変わってきた。復興にはビジョンが必要だが、このビジョンってやつを皆で方向性をすりあわせていくには非常に大きなエネルギーがいる。なぜなら、被災地の住民でも家が壊された人、そうでない人、家族を失った人、そうでない人・・・立場がさまざまなため、利害が対立することもしばしばだから。

そういった状況の変化の中、地域の人を勇気づけるスタンスだった自分のBlog記事の中で、例えば復興計画に関する話題で純粋な自分自身の意見を率直に述べることができなくなっていった。募る自分の思いと、それを表現しきれないもどかしさ。

地元の現場に足を運んでいろいろ見ていると、その都度考えることになるしさまざまな問題も見えてくる。たとえ今は地元に暮らしていないのだとしても、生まれ育ったこの街が今後どのように復興していくのか興味深いし、自分のこととして考え、自分の意見が生まれてくるのは自然なこと。しかしそれを素直に書き記すことがためらわれた。

これを書いたら一方では傷つく人がいるかもなあ、と・・・。

冷静になって思い返してみると・・・別にパブリックな存在でもなんでもない、たかがいちBlogで、俺はいったい何に遠慮していたのだろうか・・??

・・・

結論。そう、実は、単純に自分の意見を思い切って言うことにビビっていただけなんだ。表現することから逃げていただけだと今なら言える・・。別に津波が〜、とか、被災地が〜、とか、そういうのとはあまり関係ない自分の性格的な部分で、単純に自分の意見を包み隠さず書くということに対する恐怖。それがたまたま、意見が対立しやすい議論を取り上げようとした時に「ビビり」という形で発生したってだけだ。

そんなワケで、自分の意見を途中まで書いてみるも、公開していないBlog記事が何本かあったりする。そうこうしているうちに月日は流れ、あの地震と津波から3年・・。今は香港に暮らし、入手することができる情報は親から聞くのと新聞/ネットやSNSから得られるものが全て。地元に帰省できるのは年に1回と限られているけれど、だからこそこの時期はなおさらこれからの地元の動向に目を向け、考える機会にしたい。自分の意見の書かれたボツ記事を何本か見返しながら、改めて今の状況も絡めて考えてみる事にした。



ふう、こんな回りくどい説明をしないと意見の1つも言えないなんて・・・我ながらやれやれ、です。

つづく。


津波被災地のリアル・・・大槌町吉里吉里レポート まとめ
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Instagramで超うまそうにメシの写真を撮る3つのステップ

2014年03月03日 22:17

香港に来てからというもの、お昼時には毎日のようにチャーチャンテン(ローカルのオープンエアーな定食屋さん・笑)に通い続けております。メニュー覚える目的で毎回お昼の写真を撮影していたところ、なんかうまそうに見えるパターンが確立できたのでその方法を公開。簡単なのでみなさんもお試しあれ。


やり方は次の3ステップのみ。

①画面いっぱいに皿をフレーミングする
②ボカシを入れる
③エフェクトはLo-Fi


以上。



①のときに、画面中央タップでピント合わせてからぶれないように撮るとよりよいです。
(ひじをテーブルにつけておく、つまり手を三脚化。)
Evernote Camera Roll 20140309 212502






②もボカシの形を円形、縦長、横長とか選べますが、円形の中央一点で問題ナシです。
Evernote Camera Roll 20140309 212503






ポイントは③のエフェクト。コントラストと彩度が上がってくっきりあざやか、よりウマそうに撮れるのがLo-Hiってわけです。
Evernote Camera Roll 20140309 212504



一応、ビフォアアフターを。

Before
Evernote Camera Roll 20140309 212504



After
Evernote Camera Roll 20140309 212503




さあこの方法でこれからも淡々とメニュー写真積み上げていこう。
(たとえメニューに乗ってなくても材料と調理方法を指定すれば作ってくれるところが香港チャーチャンテンのいいところ。なので目標は自由自在に注文すること。まあ好みのメニューはもうだいたい制覇した感じだけど。)

他のメニュー写真例はコチラ。
iPhone + Instagramで撮る香港チャーチャンテンメニュー表


そういうわけで自分のInstagramアカウントは食べ物の写真で溢れてます。
アカウント名はgaahaafat1です。フォロー歓迎・ご自由に!

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iPhone + Instagramで撮る香港チャーチャンテンメニュー表

2014年03月02日 22:26

香港に来て1年10ヶ月になりますが、基本的にお昼は職場近くのチャーチャンテンで食べております。この店はお昼時は非常ににぎわっており、超人気店と言ってもさしつかえないでしょう。しかし、観光で来るような場所ではないので、完全にローカル向けのお店です。店員も含めてハダカのオッサン率高し(笑)で、ここの料理が本当においしい。

毎日のように通っているのでせっかくだからメニューを覚えたいという目的もあり、写真を撮り始めました。カメラはわざわざNEXを持ってくるのもあれなんでiPhone+Instagramで。撮影後、コメント欄にメニュー(の読み方)を記入しておけば、マイ・メニュー表になって便利かなと。

実際やってみると、かなりのメニューを覚えられました。メニュー表に載ってなくても具材と調理方法を組み合わせて注文すればその通りに調理してくれるので、そんな裏メニューもあわせるとコンビネーションは無限大??基本は押さえたのであとは未兆戦のメニューを開拓していく段階です。

いつかチャーチャンテンメニュー・マトリックスを作ろうと妄想中。





















































































































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メシマズ写真家に学ぶおいしい料理の撮り方

2014年03月01日 22:08

メシマズ写真のおもしろさは異常 タケルンバ氏のBlogより。


いやあ本当におもしろい。
ひとしきり笑った後で、ここから学べることはなんだろう(笑)

こうならないようにすればいいんだ、ということを頭に入れておくことくらいだろうか(笑)
(いや、逆に狙ったとしてもここまでやるのはそれはそれで才能があると思ってしまうけど・・)



「いいまじないに力を与えるには、悪い言葉も知らなければいけないって。」
シータもそう言ってることだし(笑)




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APE…it will become the hub of local activities

2013年11月06日 00:53

Ape celebrated its second anniversary October 2013. Ape became the place where people could meet casually and has been indispensable for the community. However, it has to move in the near future.

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Ozuchi town office had discussed how to design the new town after the tsunami with local people. Their basic thinking is that houses should not be built in the area that was hit by the tsunami. This is because if another tsunami strikes, the same destruction will happen again; and another tsunami will surely come someday.

As this region is composed of a special terrain called rias coast, there are only a few high and flat places available to build houses. So, Ozuchi town has proposed the following plan;

1. Build a seawall 12.8m in hight
2. Raise the ground level of the building site.

Ape currently is located at the building site. That's why Ape will be closed in December 2013. It will be temporary, as Norishige, Ape's owner, has declared that it will be relocated and restored.

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On the other hand, Ape is trying to start a new project. Norishige is planning a tour to see the sea of Kirikiri in a sea kayak. On the tour, it will be possible to enjoy the scenery of a deserted island and the sea. It is a beautiful place that you can fully appreciate while paddling your kayak.

Ape Trek (Ape official site)

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Until now, it has not been fully utilized by locals despite there being a number of tourism resources available. It is difficult for the people who live locally to see how attractive it is. Norishige can now re-discover the beauty of the local because he had been living in Tokyo.

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In the wake of the tsunami, volunteers and supporters; people with the imagination and ability to take action, have gathered in this town. Efforts to re-discover the charm of the countryside and community activism will go on increasing. It's very exciting. I am looking forward to Ape being revived for people not only to gather, but it will also become the hub of local activities.

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The Hyoutan-Jima island…a symbol of revival in Ozuchi 2

2013年10月25日 00:19

Another event was the Hyokkori Jazz Festival held in 2004. The Meiji university jazz big band, "Big Sounds Society Orchestra" a well known band amongst universities which I also belonged to when I was a university student performed a this festival.

第一回ひょっこりJAZZ祭 official site

The band performed in a special location. The stage was made near the pier where the audience could see the island that was lit up. The lights used for hunting squids which are very bright were used around the stage. The stage was also decorated with a lot of fisherman's flags. Many people came to this special festival and enjoyed the music, I thought it was a great success!

ひょっこり1



ひょっこり3






Now, they are trying to make the island a symbol of revival. At the end of 2011, they held a design competition for the design of the lighthouse instead of replacing the original one. There were many applicants and new one was built. The embankment connecting the island and land will be completed soon.

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Mr.Makoto Ozone, who is one of the most famous jazz pianists in Japan, recorded the theme song "Hyokkori-Hyoutan-Jima", it is broadcast from speakers of the town every noon. I hope the Hyokkori Jazz Festival Vol.2 will be held someday. I want Mr.Ozone to join in the festival! If there is another jazz festival, it will be an opportunity to attract people from other towns to the island.




大槌のひょうたん島前でライブ 曲提供の小曽根さんら


2011/7/3大槌町復興支援ライブのお知らせ(ひょっこりJAZZ祭の思い出等)
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The Hyoutan-Jima island…a symbol of revival in Ozuchi 1

2013年10月18日 00:27

There is an island in Ozuchi called "Hyoutan-Jima". As the shape of this island is quite unique; it is similar to a gourd, local people have called it by this name since a long time ago.

Before the tsunami, we could get to the island along an embankment. On and around the island are good places for fishing and I enjoyed fishing here with my friends when I was a child. There was a small shrine and a red lighthouse on the island. However, the embankment and the lighthouse were destroyed by a tsunami.

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Aug.2008



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May.2011 (after the tsunami)




This small island became famous as a model of a TV puppet show program for children called "Hyokkori-Hyoutan-Jima" since it aired in the 1960's. The story of this show was about when the island suddenly separated from land and began to move towards the sea. Only a few people survived and remained on the island. These people all had unique personalities and each episode there was some type of drama and they had to solve the problem.






As the story was unique, satirical and amusing, it appealed to many people at the time so most Japanese people know this show. It had a catchy theme song that many people recognize. The story was written by the writer Hisashi Inoue, who also wrote Kirikiri-Jin. Although he did not say which island he modeled the story on, Ozuchi people believe it was their island. It seems very likely because his mother had lived in the neighboring city of Kamaishi.

Hisashi Inoue -wikipedia

Special hometown Kirikiri


Ozuchi town has used this island for sightseeing and sometimes held events related to the island. One example is when they were broadcasting at noon everyday the theme song of Hyokkori-Hyoutan-Jima. However, because of the tsunami, the Ozuchi town building sound system was destroyed.

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Aug.2013 Ozuchi town office



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Aug.2013 Ozuchi town



To be continued...



ひょっこりひょうたん島の今・・・2011年9月 大槌レポート



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どんりゅう庵

2013年10月10日 20:49

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城山の入り口、新しくできた大槌役場の前、復興食堂とかがある一角にこの店はある。





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ひょうたん島カレー !
これはアイデアの勝利だね。うまし!
福神漬けが灯台になるのね(笑)

で、あえて並べてみる(笑)

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この手ぬぐいはほしい。


・・・


とてもおいしくいただきました。
湘南の名が示す通り、この店は暖かい支援によって続けられている。
のれんをくぐって店内に入り、中を見渡せば、やはりそこは外観のとおり仮設の店舗そのもの。ここがまだ津波から完全には立ち直っていない、非日常な場所なんだと意外なところで再認識させられた。


地元に帰ったら立ち寄りたいお店。応援してます!


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地元メシの写真。

2013年10月09日 23:13

吉里吉里自慢の海産物の写真など。


・・・


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かぜ(=ウニ)。
かぜという名称は吉里吉里語(方言)。ちゃんと吉里吉里語辞典にも掲載されている!

じいちゃん健在の頃はかぜ取り(ウニの解禁日・6〜8月の週1〜2回)には晩飯のおかずはかぜOnlyだったな・・。白いごはんとかぜ。週に二日はそんな日があるので、またかぜかー、みたいになる。今思えばなんてぜいたくだったんだろう・・
その晩はテーブルの中央にウニてんこもりのバケツが置かれ、割ってワタ取って塩水で洗って、殻の中からスプーンでぺろりと食べた。まだとげが動いている。手が紫色に染まってしばらく取れない(笑)次の日学校に行くと、友達みんな手が紫だった。
俺は坊主かぜ(刺が短いウニで、身がオレンジ色)の方が好きだったなあ。


復刻版吉里吉里語辞典:いとしく おかしく 懐かしく復刻版吉里吉里語辞典:いとしく おかしく 懐かしく
(2013/03/11)
関谷德夫

商品詳細を見る






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味噌かぜ。
生ウニに飽きたら、次の日はこれ。
ごはんさかげでけえ(食え)。






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刺身、アワビ。
なんだべ、盆と正月が一気に来たみでぇだな!





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写真撮影時(8月末)は初さんまにつき脂ノリはこれからといったところだった。
香港住民には食せただけでシアワセ。





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どんこ汁。どんこ=エゾアイナメ(wikipedia
この肝が最高なのよ。
食べ過ぎるとキモくなるやつ。
ああ、またキモくなりたい(^_^)





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しゅうり。いわゆるムール貝。少量の水で煮るのみ、シンプルis best。潮の味がしみ出してくるのでそれで十分、というかそれが最高。海っぱだのひたず(海の側の人たち)は複雑な料理方法をまったく知らない。素材が美味すぎてそのまま食べるのが一番と信じてるから。





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すじこ。しかし吉里吉里人はすじこと発音しない(できない)。すずご。





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なます。我が家のなますにはみかんの缶詰が入る。
がきんちょ同士のケンカの際、啖呵を切る時にも使われる。
使用例「なますにすっつぉ!」など。笑





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すっぷく。精進料理、らしいのです。うどん。お盆はこれかんねばはじまんね。


・・・


なあど?
大槌良いとこいっかいきてけだんせ
うんめぇもんかせっから(笑)

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