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  1. 津波被災地のリアル・・・岩手県大槌町吉里吉里レポート・5/2の様子(05/10)
  2. 津波被災地のリアル・・・岩手県大槌町吉里吉里レポート・5/2桜@吉里吉里駅(05/07)
  3. 【動画作品】暮らしの復興に向かって 岩手県大槌町吉里吉里地区(04/26)
  4. 【告知】5/3,4ひょうたんランプ展 in Kirikiri 開催します!(04/25)
  5. ご報告・しばらく日本を離れることになりました(04/24)
  6. 被災地の子供たちが写真で発信するプロジェクト・キッズフォトジャーナル(04/01)
  7. 宙玉写真展@北上ショッピングセンターPAL(03/31)
  8. 一年前の出来事・吉里吉里人の心の声(03/30)
  9. 大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか・・・津波で被害者を出さなかった町の話(03/29)
  10. 津波警報が鳴っていても逃げられない心理状態、「正常性バイアス」(03/27)
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津波被災地のリアル・・・岩手県大槌町吉里吉里レポート・5/2の様子

2012年05月10日 00:29

吉里吉里に帰って来たのは3/11以来。
遠野から回って来て、沿岸部の津波被災エリアに入った瞬間の雰囲気の変貌具合は以前と変わらず。
やはり基礎だけになった家々を見ながらの運転は、ある種の緊張感を伴うものなんだと思う・・。

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基礎のコンクリートだけになった様子を、アルファブロガーの小飼弾氏は「揺るがず、揺れてる - 書評代わり - 僕と日本が震えた日」というエントリーの中で「家々の切り株」と表現している。これに続く部分で印象に残ったフレーズは、「生きるとは、片付けること」

そして記事の後半では、釜石の港湾防波堤の復旧についても触れられている。莫大な費用がかかる事業を、「地域の人々が望むなら」・・・そういうなら仕方がない、という姿勢に対する疑問が投げかけられている。

本当にそうだろうか?と。

詳しくはこのエントリーを読んでみてください。いろいろと考えさせられる記事です。




・・・






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昨年も、「被災地に咲く花」の写真を残そうとしてきたことは以前から記事にしてきたけれど、今年もやはり春が来たという事で、たくましく水仙が咲き誇っていた。

被災地に咲く花たち・・・晩夏編








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菜の花、わんちゃんを散歩するおじさん。






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吉里中生の下校風景。
こんな風景ももう、あたりまえのこととして受け入れられているんだろう。








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季節はGW。街中の数カ所に立派な鯉のぼりが泳いでいた。
つつみ保育園、そして小学校にもあったかな。どこからか支援をいただいたのだろうと思う。
ありがたいことです!









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吉里吉里中学校校庭の仮設団地の入り口に咲く桜並木。









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中学校のすぐ下にあるグラウンド、通称「農村広場」では中学生達が野球の練習に励む。







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なにやら取材を受けている模様。
彼らに野球の指導をされている芳賀光さんに久しぶりにお会いして、いろいろと話をすることができた。
楽しかったです!
北海道の大学から学生さん達が数名きてくれて、吉里吉里の中学生達と野球を通して交流?指導?してくれているとのこと。その様子が、取材されていたということだった。

がんばれ!吉里吉里の野球少年達!ですね。

光さんは被災地の聞き書きプロジェクト101でもロングインタビューに答えられていますね。
これからも応援しております!







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咲き誇る吉里吉里中学校前の桜。
ここも、津波を被ったところ。
中学校のフェンスの松の木まで波は上がった。曲がったフェンスは今も当時のままになっていた。
この桜も「被災地に咲く花」。たくましく咲いていて、ひときわきれいに思えた。





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津波被災地のリアル・・・岩手県大槌町吉里吉里レポート・5/2桜@吉里吉里駅

2012年05月07日 23:44

このGWは、香港に旅立つ前、最後の帰省となりました。
そのときに見て回った吉里吉里の様子を、これからアップしていきたいと思います。
これをもって、しばらく吉里吉里レポートもできなくなりますので、気合いを入れて行きたいと思います!
まずは5/2の吉里吉里駅の桜の様子から。
満開を少しだけ過ぎた桜の木からは、ヒラヒラと花びらが舞い散っていました。
そんな様子を少し。



・・・






桜1






・・・

桜2

ホームに覆いかぶさるように咲く花。
こうして改めて見てみるとなかなか雰囲気ありますね。








桜3

桜越しに小さな待合室を望む。








桜4

震災以降、未だ復旧しない鉄道。今はもう使われなくなったホームに舞い散る花びら。
復旧については様々に議論されている模様だが、どのようになるか決まったという話は伝わってこないまま・・







桜5

錆びた線路にも花びらが落ちる。








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ホームから階段を見下ろす。去年まではこの階段の先に小さな駅舎があった。
今は取り壊されて平らになっている。








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駅前ロータリーの桜の木も見事。








桜9

花びらのじゅうたん!!









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小さい頃よく髪を切ってもらった(といっても坊主だけどww)堀合とこやさんの前から。駅に向かう小さな坂道から見上げる桜、好きだったなあ。







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小さいけれど、風情溢れる素敵な駅、吉里吉里駅。桜並木も見事です。
ホームにかかる桜の木からヒラヒラと花びらが舞い落ちてくる雰囲気も素敵です。
間違いなく、大槌の桜の名所の一つだと思う。いやホントに!


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【動画作品】暮らしの復興に向かって 岩手県大槌町吉里吉里地区

2012年04月26日 23:38

被災者の方々に、その方の人生も含めてロングインタビューして軌跡を残していこうという取り組み、「被災地の聞き書き101プロジェクト」。NPO共存の森ネットワークと東京財団による支援活動で、吉里吉里地区にもスポットがあてられ、多くの方々のインタビューが収録されています。

以前書いた記事はこちら。

被災地の聞き書き101・・・吉里吉里人の肖像




そんな共存の森ネットワークさんが国連大学高等研究所と協働して、大槌町吉里吉里地区の復興の様子を紹介するビデオを制作、今回それが完成し、国連大学が主導する「SATOYAMAイニシアチブ」という活動の一環でそのホームページから、全世界にむけて発信されています。

http://satoyama-initiative.org/video


映像作品のタイトルは、「暮らしの復興に向かって 岩手県大槌町吉里吉里地区」

震災後の様子に始まり、避難所で災害対策本部長として指揮を取った東谷さんのインタビュー映像を軸に映像は進行していきます。復興に向かう気持ちを後押ししてくれるような、前向きなメッセージが発信されており、とてもいい作品だと思いました。Youtubeで約15分と見応えのある長さです。お時間あるときに、じっくりとご覧になられることをお勧めします。ぜひ、見てみてください。






ちなみに、昨年10月に共存の森ネットワークの吉野さんより連絡をいただき、この映像制作の趣旨等、お話がありました。そして、震災直後から記録として撮りためていた街の写真、復旧作業の様子、避難所での写真等、提供させていただきました。映像中にもたくさん使われております。

このBlogから繋がったご縁ということになります。このような形で吉里吉里の様子を後世に残していただけるということ、とてもありがたい事だと思います。自分としても、わずかながら協力できて光栄です。ありがとうございました。



被災地の聞き書き101のサイトは昨年11月に記事を書いたときよりもぐんと記事の数が増え、充実しています。
吉里吉里で活躍しているあんな人やこんな人が!という新鮮な驚きに溢れています。まるで吉里吉里の人がみんな有名人になったみたいです(笑)いや、でも皆さんかっこいいです。がんばっている姿を応援せずにはいられません。今一度チェックしていただければと思います。

被災地の聞き書き101 岩手県大槌町吉里吉里地区
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【告知】5/3,4ひょうたんランプ展 in Kirikiri 開催します!

2012年04月25日 23:26

5/3・4  11:00〜23:00  Cafe & Bar APE

ついに実現の時がやってきます。ひょうたんランプ展。故郷大槌町吉里吉里では初の開催です。

震災後、吉里吉里と雫石との往復生活を続ける中、「今年ばっかりは畑は無理かな、」という考えもよぎったのですがいやまてよと。営みは続けなきゃならんなと。

そうして始めた畑から収穫したひょうたん達が、無事にランプにまでなりました。
年末から彫り始めたランプも30個を越え、なかなか見応えのある展示にできそうです。

そして、吉里吉里から何かを発信できたらいいなあ、とも常々思っていました。

特に、昨年9月に復活の薪プロジェクトのボランティアに訪れてくれたことで知り合った岡山県美作の地域おこし協力隊の皆さんの活躍ぶりをみていると、「地方から発信する」ことの重要性、活力、そしてなによりものすごく楽しそうな活動の様子が伝わって来ており、その「発信」ということに関して何かきっかけがつくれるんじゃないかと。そんな思い&確信は強まるばかりだったので。。

吉里吉里国 復活の薪に集う人々

現状、何かを発信する役目を担ってきたのは東京を代表とする、都市部がほとんどですね。けれど、細かく分解していくと、都市部が発信しているといってもそれは結局一人一人の人間がやっていることだから、誰かと一緒に製作するような大規模のものを除けばわざわざ東京に行かなくても発信できるんじゃないかと。

発信できるネタがあるのなら、盛岡じゃなく、ましてや東京まで出て行くでもなく、吉里吉里から。面白いことをやっていれば、面白い人が集まり、やがてその土地そのものが魅力を増すということにつながりはしないか?と。
起点を作るとまでは思わないけれど、一人でも二人でも、面白いことを考えるクリエイターとの出会いがもしあるとすれば、素敵なことだなあと思います。そうすれば、芋ズル式に、面白クリエイター・ネットワークが広がって行く可能性もあるかもしれません。。


・・・


なんか飛躍した考え方になっている感もありますが(笑)
実際には、楽しくできたらいいなと思っております。

ひょうたんの良さを世にご紹介できるまたとないチャンスでありますので、自分としてはかなり気合いが入っております。。


会場は、APEでさせてもらうことに決まりました。
ひょうたんランプの光で店内はかなり雰囲気が変わると思います。
どんな空間になるのか、楽しみです。
ノリシゲさん、ありがとうございます!当日よろしくお願いいたします。



・・・


ひょうたんらんぷ展





今はランプ台の製作にとりかかっているところで、まだ作業は残ってますが、あともう一踏ん張り、がんばって準備をしたいと思います。非常に、わくわくしてきました。

吉里吉里の皆さん、待っててください〜!
そして皆様、この機会にお誘い合わせの上、吉里吉里に遊びにいらしてください〜お待ちしております!

ハガタイチ the ひょうたん人


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昨年12月にひょうたんランプに触れている記事です。

APEと兎とひょうたん・・・ひょうたんの恩返し

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ご報告・しばらく日本を離れることになりました

2012年04月24日 22:55

吉里吉里の情報を楽しみにしていただいている皆様へ。
いつもご愛読いただきまして、大変ありがとうございます。

今日は皆様にご報告があります。
実は、このたび仕事の関係で海外勤務が決まり、5月中旬より香港に移り住む事になりました。
数年間、雫石/盛岡、吉里吉里、岩手、もっと言うと日本での暮らしを離れる事になります。


お話をいただいた時点では、生活そのものの場を移すという点で、葛藤がなかったかと言えば嘘になります。

やはり一番最初に頭をよぎったのは、震災後からずっと気にかけてきた地元、大槌町吉里吉里のこと。
震災以来、現地で大変な思いをしながらがんばっている友人、親戚の方、そして何も情報が入ってこなくて不安な気持ちになっている地元を離れている方々。少しでも橋渡しになれたらと続けて来たこのBlog、大槌町吉里吉里レポートも、自分が日本を離れることで現地の生の情報は発信できなくなってしまいます。

関わらせてもらってきた復活の薪、 NPO吉里吉里国での活動などにも、協力できなくなってしまいます。
これから復興、という大切な時期に、力になれずに申し訳ないという思いもあり、複雑な気持ちです・・。


しかし、最終的には、いろいろ悩んだ末、この選択を受け入れることにしました。
仕事の上では率直に「大きなチャンスをいただいた」と感じており、微力ながら、少しでも役に立てるよう、がんばろうと思っています。いつか海外での生活の経験が、よかったなと思えるようなものにしたいと思っています。


そんな思いをぐるぐるとめぐらせながら、今はただ、引っ越しの準備と、残された1ヶ月の時間でやっておきたいことの準備を粛々と進めているところです。


(基本的に、「ま、なんとかなるでしょう」と思っており、生活そのものに関してあまりというかほとんど不安はありません^^;)

香港へは、家族みんなで行く事にしています。なにもわからない異国の地に、突然連れて行かれるというのは子供達にとっても大きい変化になるし、大変なこともあるかもしれないけど、そんな選択を受け入れてくれた妻にも感謝感謝です。

家族が合流するのは自分が行ってから3ヶ月後、それまで生活の基盤を作っておく、ってことになりそうです。


これから、その「やっておきたいこと」の案内もしたいと思います。GWが日本を起つ前の最後の吉里吉里帰省のチャンスになりそうです。ちゃんと、吉里吉里レポートもGW号を発行してから、飛び立とうと思います。よろしくお願いします。
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被災地の子供たちが写真で発信するプロジェクト・キッズフォトジャーナル

2012年04月01日 22:40

被災地の子供達が、その暮らしの中で自分の目で感じた事を、写真と文章で世界に発信する。
そんな取り組みが、キッズフォトジャーナル

以下、サイトより引用。


「3 / 11 Kids Photo Journal」は東日本大震災で被災した子どもたちが写真と文章を使い、3 / 11のその後を世界に向けて定期的に発信するプロジェクトです。岩手・宮城・福島の3県の子どもたちが、プロの写真家のサポートのもと、写真を撮影し、言葉を綴ります。




この活動は東日本大震災を契機に始まったものではなく、実は2004年のスマトラ地震の時の取り組み「InSight Out!」プロジェクトがベースとなっているそうです。
代表の後藤由美さんのメッセージがすばらしいです。
一部を引用させていただきます。

2004年12月にスマトラ沖大地震・インド洋大津波が発生。日に日に伝えられるニュースから、その規模が未曾有のものであることがわかり、かつて、滞在時に世話をしてくれたローカルスタッフのなかにも犠牲者が出ていたことを知りました。今度こそ、何か力になれることはないのか。「写真」を使って伝えることで、何か出来ないか……。

被災地の子どもたちに写真と文章で外の世界に伝えたいことを記録してもらってはどうか、子どもたちが写真と文章で表現した世界を外の世界とつなぐお手伝いなら出来るのではないかと、「InSight Out!」プロジェクトに取り組むことになりました。

テーマは「写真を通して多くの人びとに伝えたいこと」とし、最低限の技術指導がされた後、子どもたちはカメラを持って、それぞれのコミュニティへと戻って行きました。1週間後に再び子どもたちを訪ねて、見せてもらった写真は、私たち大人が想像する以上に現実をしっかりと捉えたものでした。

(中略)

2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。自分の生まれた国で、このような大災害が起きる日が来るとは……これまでいろいろな国の問題を、写真を通して伝えるお手伝いをしてきましたが、想像もしていませんでした。

このたび、「InSight Out!」の経験を活かし、3/11 Kids Photo Journalに取り組むことになりました。岩手・宮城・福島の3県で、参加してくれることになった勇気ある小さな仲間たちと活動していきます。今回の災害を体験した子たちにしか語れないこと、撮れないものがきっとあるはずです。今は思うようにうまく伝えられない子もいるかもしれません。ですが、その思いを伝える準備が出来たときに、自分たちの写真と文章が残っていて良かったと思える日が来ると信じています。

ここから「写真の力」を信じて活動している仲間とともに、子どもたちの思いをさらに多くの方々へつないでいくお手伝いが出来ればと思っています。ご支援をよろしくお願いします。



全文はこちら
キッズフォトジャーナルとは




この取り組みのことを知ったのは、3/11の海岸供養の時に親戚のおばさんから聞いて。
吉里吉里からも二人の小学生、川原健斗くんと小川留以ちゃんが参加されているとのこと。(この二人はキッズフォトジャーナル最年少だそうです。)

実は健斗君は僕の親戚で、津波でおじいさんを亡くし、家も流されていてしばらく避難所で暮らしていた。
今は仮設から小学校に通っている。
旧中学校体育館の避難所が昨年8月に閉鎖されるとき、仮設の抽選の関係で最後まで残っていたのも健斗君だった。避難所にいたときも、見かけたら人懐っこい笑顔をくれて、きっと周りの人たちにも元気を与えていたんだろうなあ、と思う。

健斗君のおばあさん、芳賀キエさんの被災地の聞き書き101の記事も合わせて紹介します。
(いっつもホタテやワカメをいつもどっさりと頂いて、大変お世話になっていました。本当にありがとうございます。)

そんな健斗君がこのキッズフォトジャーナルの特派員(?)に選ばれて、カメラマンのサポートの元、震災後の吉里吉里を伝えるべく撮影することになったのは、避難所を出る前の夏のこと。そうして撮影されてきた写真と文章がこちらのページに公開されており、見る事ができる。


吉里吉里から~線路はつづくよどこまでも♩From Kirikiri ~ The railway line goes on forever and ever

KPJ







また、ニュース23に取材を受けている様子もまとめられている。

吉里吉里ニュース23クロス Kirikiri News 23 X




小学生の二人が伝える震災、吉里吉里を、これからも見守って行きたいと思う。
きっと、大人では気づかない、そしてそこに暮らしていないと気づかないようなさりげない視点、しかし真実を確実に切り取った写真が、見られると思う。健斗君とるいちゃんが、この後もどんな瞬間を切り取ってくれるのか、楽しみにしながら。

自分も「写真の力」を信じる一人として、応援していきたいです。




関連記事
被災地の聞き書き101・・・吉里吉里人の肖像
被災地の聞き書き101のサイト
吉里吉里の方の話がたくさん載っています。新しい人も追加されていますので、ぜひご覧ください。



追記
キッズフォトジャーナルのツイッター@311kpjさんによれば、吉里吉里の避難所で広報を担当されていた芳賀廣喜さんが仲介されたお話だったそうですね。

この活動のきっかけになる留以ちゃんとの出会いを作ってくれた吉里吉里の芳賀廣喜さんと健斗くんの住んでる仮設住宅でお会いしました。本当にお世話になりました。お元気そうでした。 yfrog.com/nzzu9raj (写真右留以ちゃんの後ろにいるのが芳賀さんです)



廣喜さんも最近は自由報道協議会での記者会見を行うなど活躍されていますね。
記者会見の様子はUstreamで見る事ができます。
http://www.ustream.tv/recorded/21076510
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宙玉写真展@北上ショッピングセンターPAL

2012年03月31日 23:23

少し前のことになりますが、2/21~3/18まで、北上の江釣子ショッピングセンターPAL内のギャラリーにて僕の写真を展示させてもらう機会をいただき、見てきました。

内容は、「宙玉レンズ」という特殊なレンズで撮影した作品13点。

宙1




写真展の打診をいただいた際、被災地の写真をテーマに据えるという考えも頭をよぎったのですが、やっぱり自分なりの表現をしようと思ってそれは取り上げず、以前から撮りためていた宙玉作品でまとめることに決めました。

吉里吉里で撮影した作品も何点か選んでいます。




4ヶ月前にリニューアルしたばかりという館内はとてもきれいで空間的にも居心地がよく、ショッピングを楽しむ人々が往来していました。宙玉写真は、1Fフードコードの近くにあるトイレ、「ギャラリーのあるトイレ」というところに展示されておりました。

この企画を担当されている菊池さんから直接お話を伺う事ができたので、その様子を少し。

・リニューアルするにあたって、当初は館内と同じ業者にトイレの設計も合わせてお願いしていたのだけれど、月並みな配置だったため、せっかくなのでもう少し良いものにならないかと思案していた。

・思い切って東京のトイレを専門に設計する建築事務所ゴンドラさん(社長は女性の方!)に依頼してみたところ、思いもかけない発想がぽんぽん出てきて、とても面白いものになったとのこと。

・PALにある4カ所のトイレはそれぞれにコンセプトが異なっており、どれもが特徴的なものになっている。ただ奇抜なだけでなく、女性ならでわの配慮が細かいところまで行き届いており、機能的でいてやすらげる空間になっている。

・今ではこのトイレが話題になり、県内からの施設関係者の視察も多くなってきた。

だそうです。その一つが、この「ギャラリートイレ」。利用者の皆さんにもとても好評とのこと。長い通路があるこの構造を活かして、せっかくだからとギャラリー風にしてみたという。作品ごとにダウンライトと額がちゃんと設置されているという気合いの入りっぷりに、「なんだトイレかよ!」というツッコミは忘れてしまうこと請け合い。。


まあ、あくまで通路なので、立ち止まってゆっくり一つ一つの作品を楽しむといった感じにはどうしても出来ないのは仕方のないことかもしれませんが、でも面白い空間だと思いました。

パル





四つ切りサイズという、A4よりも大きく引き延ばした写真を現像するということで、隅々までチェックしたり、色合いを調整してみたり・・一枚一枚向き合うことで、また新しいものをつかめたような気もします。何とも言えない緊張感を感じました。でもそうして上がってきた写真を実際に手にしてみると、モニターの画面で見るのとはひと味もふた味も違って見え、初めて写真を「作品」としてとらえることができたのかなあと思いました。


最後に、ご/縁をいただいた関係者の方々にお礼申し上げます。ありがとうございました。
いつか大槌/吉里吉里でも、写真展を開催できればいいなとおぼろげながらに思っています。


展示された作品のうちのいくつかを、こちらに掲載しています。

宙玉写真ギャラリーVol.1
宙玉写真ギャラリーVol.2

宙玉写真ギャラリーVol.3

写真撮影するときの気持ちをまとめた過去の記事
写真撮影考。Discover ご近所!の発想
写真撮影に熱中すると、その場の雰囲気を楽しめなくなる?

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一年前の出来事・吉里吉里人の心の声

2012年03月30日 22:33

NPO吉里吉里国の代表として、講演など多方面での活躍が目覚ましい芳賀正彦さんですが、津波後、吉里吉里小学校避難所の災害対策本部副本部長をされていた時のエピソードをご紹介します。

ちょうど一年前の出来事になります。

吉里吉里人の心の声として、当時Twitterで共感を呼んだ文章です。

一年前の様子を、おなじみ【ふるさと吉里吉里たより】の関谷晴夫さん@tenkiwahareのツイートより。

【一年前の記憶】1年前の3月25日~31日まで、吉里吉里地区の被災者を岩手県西和賀町さんが町の温泉に招待してくれました。私も後半に行ってきましたが、NPO法人「吉里吉里国」の芳賀正彦さんと同行しました。温泉地についた私たちを前に、西和賀町の町長さんの迎え入れる挨拶に感動しました。



【1年前の記憶】町長さんは、しばらく風呂にも入っていない疲れた被災者を前に「雪深い西和賀町の町民にとって、冬でもほぼ雪の降らない大槌町さんは、憧れの地でした。ここで心を癒してください」食事を前に芳賀さんが、町長さんにあてた文が素晴らしかったので、私は携帯電話からツイートしました。





津波後の吉里吉里ではライフラインが壊滅し、水道電気全てがストップしたことで、お風呂に入れない日々が続いていました。昼はガレキ撤去や不明者の捜索で汗だくになって働き、夜は避難所で寝る。下着や服も支援物資で支給されるものの洗濯ができないため替える機会も限られる。そんな日々が2週間以上も続いていて、疲労も限界に達しようとしていた3月末のことです。

岩手の内陸にある西和賀町さんが、そんな「お風呂難民」の方向けに送迎バスを出してくれて、町内の温泉施設、沢内バーデンへと招待してくれたのでした。

沿岸から3時間ほどバスに揺られて宿に到着した正彦さん、晴夫さんらご一行は、温泉につかりつかの間の休息を得ることができました。実に20日ぶりのお風呂だったそうです。雪深い街の心のこもったおもてなしぶりに感銘を受けた正彦さんが、昼食を目の前にして食べずに書いたメモ。西和賀町の皆様に宛てられたその文章が、晴夫さんのツイートによって記録されることになりました。


・・・


西和賀町のみなさま


このたびのご支援ありがとうございます。

このことは、自分の子供・孫達へ、しっかり語り継いでいくことを約束します。

大津波が多くの命・財産そして集落を一瞬のうちに奪い去りました。

しかし吉里吉里の海には何の責任もありません。

吉里吉里の先人達がそうであったように私達はこれからも海のそばで暮らしていきます。

豊かな海の恵みを授かりながら生きていきます。私は今でも吉里吉里の海が大好きです。

豊かな残雪に抱かれた西和賀の町を、そしてそこに暮らす人達のことを私は一生忘れません。


2011年3月30日

吉里吉里地区災害対策本部副本部長

芳賀正彦




・・・


正彦さんのロングインタビューです。わわプロジェクトのサイトより。
正彦さんの静かなる決意、情熱、吉里吉里人の想いがひしひしと伝わってきます。ぜひ。
http://wawa.or.jp/project/000007.html


東日本大震災復興支援プロジェクト展3/11-25
つくることが生きること
http://2012.wawa.or.jp/

もう終了してしまった展示会&講演会ですが、ポスターに使われた写真、
とてもよい表情で印象的だったので、掲載させていただきます。

つくることがいきること




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西和賀町の皆様へ・・・大槌町吉里吉里からのメッセージ

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大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか・・・津波で被害者を出さなかった町の話

2012年03月29日 23:13

非常事態に直面したときの人の心理、「正常性バイアス」「多数派同調バイアス」等による「非常呪縛」によってすぐに行動に移れない状況があることについて、先日書きました。

津波警報が鳴っても逃げられない心理、「正常性バイアス」

この「非常呪縛」について興味を持ち、調べてみたところ、あるレポートを見つけました。

4m超の津波に町の大部分が襲われたにもかかわらず、津波での死者を出さなかった茨城県大洗町の避難誘導の実例が丹念な取材によって記録され、まとめあげられています。



大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか
~東日本大震災で防災行政無線放送に使われた呼びかけ表現の事例報告~
レポート(PDF)
http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2011_09/20110903.pdf

NHK放送文化研究所のサイトによる要約
http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/domestic/138.html



災害時の放送時に、パニックを恐れて(ある意味過剰なまでに!)丁寧な表現を使うという従来の常識に逆らい、しかも法律にはない「避難命令」という強い言葉を使って住民の避難を促した経緯、刻々と変わる放送内容にこめられた意図とは・・・。




以下、部分的ですが抜粋して引用させていただきます。


大洗町の被害状況

大洗町での今回の大震災の人的被害は、地震によって自宅で転倒した男性1人が死亡し、けが人が6人出たが、津波による死者はなかった。住宅被害は全壊7棟、半壊258棟、一部損壊1,040棟、床上浸水201 棟、床下浸水167棟。





大洗町の避難を呼びかける放送の特徴

今回の防災行政無線の放送で特徴的だったことには、命令調で避難が呼びかけられたことと、 放送内容が刻々と変化したことの2点が挙げられる。





特徴1 命令調の表現

今回の呼びかけでは「(緊急)避難命令」ということばが数多く使われた。

今回の大震災で、「避難命令」ということばで避難を呼びかけていたのは、茨城県沿岸部の自治体では大洗町だけであり、 町としても初めての試みであった。

「避難命令」ということばは、法律・行政上は存在しない。災害対策基本法上、避難について定められていることばは「避難勧告」と「避難指示」の2つである。(中略)大洗町は今回、法律・行政上は「避難指示」にあたる行為を、「避難命令」と言いかえて表現し、 呼びかけていたことになる。





特徴2 変化する放送内容

避難対象区域をより具体的に言いかえていたことや、「自宅に戻らないで」と言い直したり、「避難せよ」と「避難してください」を交互に使い分けたりしていたことは、「避難情報」や「行動指示情報」をより詳しく、あるい は効果的に伝えようとしていたということになるだろう。

地震発生後、自分は避難をしなければいけない場所にいるのか、あるいは具体的に何をすればいいのかといったことは、すぐに必要となる重要な情報だ。こうした情報を、絶えず新しくし、さらに聞き手の状況を踏まえた上で表現を変えながら伝えようとしていたと言えるだろう。







おわりに より抜粋

今回の大震災を経験した古川消防長の次のことばは、大災害が起きた際に自治体がどのような状況下に置かれるのかを鋭く突いたものだ。「いざ災害が発生してしまったら、大勢の人を避難させるのには、もう『ことば』しか残っていない」。

効果的な呼びかけ方だけですべての人が避難するわけではなく、避難訓練や防災意識の向上にむけた学習など、災 害が起こる前からの取り組みが重要であることは言うまでもない。しかし、災害が起きてしまったときに呼びかけ ることばや表現についても、事前に見つめ直し、よりよい工夫をする余地はまだあるのではないか。またその必要性もあるのではないか。








このレポートは本当にすごいです。臨機応変に対応する町の対応、どのように呼びかけたら避難してもらえるのか。このようにきめ細やかな対応があったからこその、犠牲者ゼロなのかと。また、有名な「オオカミ少年効果」や「正常性バイアス」を始めとした非常呪縛から人々をいかに解きやすいようにしていくのか、その観点から見ても今後の避難誘導のお手本となるべき対応だと思います。

また、放送をかける自治体側のみの視点ではなく、その放送を聞いてどう行動に変化が現れたのか、その点についても避難者からの視点を入れるなど多面的に語られています。

放送内容の変遷のメモなどは、時系列に整理されまとめられて淡々とかたられてはいますが、結果的に当時の緊迫した状況を伝える良質なルポにもなっており、読み応えたっぷりです。

部分的に引用させてもらいましたが、ボリュームも多く本当に興味深く価値の高いレポートだと感じられます。ぜひ全文を読んでいただくことをお勧めします。自治体関係者や消防関係者のみならず多くの方に向けて。


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津波警報が鳴っていても逃げられない心理状態、「正常性バイアス」

2012年03月27日 22:25

3/27 20時頃、岩手県沖を震源とする地震がありました。
また、3/14に起こった地震では、津波注意報が発令されることとなりました。
東日本大震災の余震、または誘発された地震はまだまだ起こる可能性があり、沈静化したとはとても言えない状況が続いています。

3/27のは、雫石は震度4、吉里吉里の実家では、3/14の津波注意報のときよりも揺れが大きかったみたいです。


で、今日思い出したのは、津波警報の時の避難にまつわるお話。例えば東日本大震災のように過去に経験したことのないような巨大な地震だったり、大規模な火災だったり。あまりにも普段の現実と異なる状況に遭遇した場合、人は、パニックになるというよりもむしろ、「自分は慌ててなんかいない」と努めて平静に振るまおうとするようです。

と聞くと、なーんだパニックは思ったよりも起こらないんだ、と思いたくもなるけれどちょっと事情が違っていて、明らかに身に危険が差し迫った状態でさえ逃げることをせず普段と同じように振る舞おうとする厄介な側面があるということを知り、興味深く思って調べてました。その心理状態を、「正常性バイアス」と呼ぶとのこと。

この非常時に縛られる呪縛はかなり強力な心理が働いているようで、あの3/11の巨大地震後の心の動揺、どうして良いかわからず思考停止→結果として、身動き出来ずに普段と同じ行動を取ってしまう=家から出てはみたものの、そのまま避難せず家に戻り、こたつに座りお茶を用意するなどという行動に繋がってしまった例も多いのかと。。
(これは吉里吉里で複数の人から聞いた実際の話。避難する時間がたっぷりあったのにも関わらず犠牲が多かった吉里吉里2丁目の付近の状況とも重なる。)


防災心理学、正常性バイアスと多数派同調バイアス
防災・危機管理アドバイザー 山村武彦氏
http://www.bo-sai.co.jp/bias.htm


このリンクには、「正常性バイアス」と「多数派同調バイアス」という、緊急時における「非常呪縛」のお話が実例を元に分析されて載っています。




緊急時にはこんな心理状態に陥ってしまうことがある、ということを知識として知っておくだけでも、ずいぶん違うのかなと。そして、どうしたらそんな状況を打破できるだろうかと考えを巡らせてみる事も、非常時に対して準備できることの一つなのかもしれません。




また、この記事の結びで山村氏は、非常呪縛から逃れる方法、防災の心構えに言及しています。

今、行政や企業がコストとエネルギーを傾注しなければならないのは、市民や社員への意識啓発です。箱物やシステムを作るよりも、防波堤を高くすることよりも、まず一人ひとりの危機意識を目覚めさせ心の堤防を高くすることだと思います。



こういった防災心理学的見地からも、堤防の高さ等を含めた構想を考える必要があるんじゃないかと思います。
(個人的には堤防が高くなりすぎて海が見えないのはかえって危険が増すことは田老の例をみても事実としてあるため、高台移転が大前提と思っています。)



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